バイーアからきた四人娘こと、Quarteto Em Cyです。アンディ・ウィリアムス・ショーに出演した際の映像ですが、とても楽しい曲ですね。Quarteto Em Cyのコーラスワークは抜群、息もぴったりで言うことなしです。一方のアンディ・ウィリアムス、これまで何度か書いてますが、我等がクロディーヌの元旦那です。ユーモアのセンスもあるなかなかの好男子で、音楽的センスも抜群ですね。
さて、今回のテーマはボサノヴァ。実はこのボサノヴァという音楽、私には非常に厄介な存在です。クロディーヌのアルバムを少しでも聴いたことのある方なら、彼女が取上げている作品にボサノヴァの名曲が何曲かあることがお分かりでしょう。そういう点ではボサノヴァは我々に馴染み深い愛すべき音楽といえるのですが、ではそこから一歩進んで本場ブラジルのボサノヴァを聴いてみると、どうもしっくりこないのです。Quarteto Em Cyの曲をもう一曲。
72年の作品ですが、ちょっとサイケ入ってていいですね〜。曲自体は非常に好きだし、演奏もグルーブ感があってかなり水準は高いと思われます。ところが、これでもしっくりこないんですねえ。さて、なにがしっくりこないのか。続いては有名どころで、クロディーヌが好きな人によくクロディーヌの同系として紹介されるアストラッド・ジルベルトを聴いてみましょう。
これまたいいですねえ。アストラッドの涼しげな声は非常に心地良いし、音楽自体も洗練されていて、オシャレ感、おすまし感もばっちりで、かなり気持ちのいい音楽ですよ。間奏で楽しげに踊る男性のノリノリ具合が示す通り、ウキウキ・グルーヴィンの要素もばっちりです。でも、やはり、何かがひっかかるんですねえ。続いては超有名曲。
先ず第一は言語の問題。この「イパネマの娘」は英語で歌われていますが、ボサノヴァは基本ブラジルの母国語であるポルトガル語で歌われます。このポルトガル語の語感というのがまず引っかかりの第一要素です。英語を規準として、言語の特徴をおおまかにわけると、ドイツ語やロシア語など北半球系は寒く固い系、イタリア語やスペイン語、東南アジアやアフリカ地域など、南半球系は熱く緩い系で、特徴的な国や言語であるほど、言語の持つ語感が音楽のイメージを規定してしまいます。ポルトガル語というのは、言語そのものが持つその質感が、英語やフランス語に比べると起伏が多いというか、後味が強すぎるような感があるのです。
続いては音楽の問題。ボサノヴァの音楽は、南国ブラジルで生まれていますので、基本的にはおおらかでゆったりして陽気です。まるで波が寄せ返すようなイメージを感じさせる、優しくも美しい音楽です。しかしそれ故に緊張感のない、リラックスした弛緩した状態の音楽ともいえます。こういう人の意識の邪魔をしない音楽というのは、よくBGMに使われやすく、特にラジオの交通情報などは、その殆どがBGMにボサノヴァのインスト曲を使います。BGMとして使われることによって、音楽からその主体性が奪われ、さらに添え物的な印象が強く残ります。しかもそのような日常的場面に使われる音楽というのは、人が自覚的に音楽を聞き出そうとする以前から耳に入ってきているので、そういう刷り込みはなかなか消えるものではありません。私の場合、「イパネマの娘」を聴くと、その間奏部分では思わず「では、ここで首都圏の交通情報をお知らせします。」というアナウンサーの声が聞えてきてしまいます。そういう印象があることが否めないので、音楽の本質とは違う所で、それが妙なトリガーになってボサノヴァ自体の音楽的品位を勝手に貶め、心から賛美できない一因とさせているのです。
さて、そんな訳で我が家にはボサノヴァのアルバムは一枚もありません。音楽自体は嫌いではないですし、60年代の雰囲気によく合った音楽で愛すべき要素も多いので残念ですが、こればっかりは仕方がありません。90年代以降はオシャレな音楽の代名詞のようにボサノヴァは扱われることも多いですが、実際に聴いてみると私と同じような感慨を持つ方も多いのではないでしょうか?
では最後にアンディ・ウィリアムスとの思い出とともにクロディーヌの歌うボサノヴァの名曲「How Insensitive」をお聴きください。


